- 2018年11月20日17:00
【津田沼散歩】谷津干潟・谷津公園…読売巨人軍発祥の地!
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谷津干潟、ラムサール条約、塩田、読売巨人軍……津田沼散歩。
ふらっと津田沼散歩
谷津干潟と読売巨人軍
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★総武線の終点「津田沼」へ向かう
中央総武線ユーザーの猪原さん。このブログ「NewsACT」も私の“中央線ライフ”を伝えると言いながら、主に新宿以西がメインコンテンツになっています。
そんな私が仕事に向かう時乗る総武線の終点は、津田沼。ここ10年以上、訪れることのなかった土地。
とある日曜に、そんな滅多に行かない総武線の終点・津田沼へ出かけてみた。今回はそんな散歩日記です。
とはいえ津田沼(習志野市)の名所とか全然知らないんですけど、総武線の車内で、スマホのグーグル・マップを眺めていると――
千葉方面にお住まいの方なら、そして野鳥好きの人ならすぐわかる、そこは「谷津干潟」と呼ばれる習志野市の名所のひとつでした。
★津田沼には塩田と遊園地があった
その塩田は暴風雨と高潮で台無しになり、閉鎖。その跡地は京成に買われ、「谷津遊園(谷津海岸遊園)」という遊園地になったそう。
その「谷津遊園」は1925年(大正14年)に開園し、1982年(昭和57年)に閉鎖。
そういえば下町遊園地といえば「あらかわ遊園」が今年12月から一旦休止。数年に渡って改装工事が入るそうですが、あらかわ遊園は1922年(大正11年)に開園。……追って開園、先んじて閉鎖。大正・昭和の子供の娯楽、悲喜こもごも……。
ちなみに「谷津バラ園」は、谷津遊園のバラ園が残され、現存するものだそう。
★「谷津干潟」とは
そんなプレートを眺めつつ、干潟のほうへ出てみる。
その屋根には「ラムサール条約登録湿地」と書いてありますね。
谷津干潟は東京湾の最奥部に位置する広大な干潟の一部でした。1971年から現在の谷津干潟の周囲に広がる干潟の埋め立てが始まります。長方形にとり残された干潟は1974年頃から「谷津干潟」と呼ばれるようになり、市民による干潟の保護運動のシンボルとなりました。1988年に国の鳥獣保護区に指定されて谷津干潟を保存することが決まり、1993年に国際的に重要な湿地として認められ、「ラムサール条約登録湿地」となりました。
(谷津干潟自然観察センター公式サイトより引用)
高度経済成長と地域の開発の中、市民の自然保護活動によって取り残された湿地。それが谷津干潟。
自然保護活動が勝ち得た、都会の中の自然――と言えば聞こえはいいですが、その立地条件がゆえの水質汚濁、アオサの繁茂、生物の大量死、渡り鳥の減少、そして近隣に広がる異臭問題。
そもそもラムサール条約登録により自然観察センターと駐車場が建築され、野原が埋め立てられたという本末転倒。
深く掘り下げるとめんどくさいことになりそうなエリアだとわかったところで、一旦退散(笑)。
★谷津公園は「読売巨人軍発祥の地」
津田沼駅へと戻る前に、寒さにトイレに行きたくなった猪原さん。
谷津公園に戻ってトイレに行くと、その横に大きな記念碑があることに気づきました。
巨人ファンなら、きっとかなりの聖地なんじゃないかと思うんですが、こんな干潟と公園しかないところが、なぜ「巨人軍発祥の地」なのかといえば――
かいつまんで説明すると、正力松太郎氏が昭和9年、ベーブ・ルース、ルー・ゲーリックほかメジャーリーグ選手をアメリカから招聘。
この谷津の地にはかつて野球場があり、全日本チームとメジャーリーグ選抜チームが練習をした。
その後全日本チームを母体に「読売巨人軍(旧・東京巨人軍)」が結成。日本のプロ野球の礎となった歴史があることから、こここそ「読売巨人軍発祥の地」である――ということが書かれています。
それにしても、ここは習志野。千葉なのに「読売(東京)巨人軍発祥の地」とは、東京ディズニーランドより以前から、千葉は東京と親密な関係にあったわけですね!
……と、むりやりオチを付けて、週末を報告する日記終わり。
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