- 2016年11月15日07:30
【日本史探訪】「大森貝塚」記念碑を見に行くなら現場の“罠”に気をつけろ!
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皆さん歴史の教科書で必ず見たことのある文字列「大森貝塚」。その記念碑が大森にあります。
でも現地に赴くと、一瞬ワナにハメられます。ご注意ください。そのワナとは……
JR大森駅・北口を出て大井町方面に向かうと、ザ・山王タワーの敷地にこのような「大森貝塚」記念碑(※)が設置されています。これを見て、写真に収めて、大森貝塚に来たぞ〜! というのは早計。実はこの写真に写っている記念碑は、2分の1サイズのレプリカ。2014年に設置されたばかりのものなんです。
※正しくは「貝墟」
本物の「大森貝塚」記念碑は、レプリカ記念碑の左手、NTTデータビルの裏手にあります。入り口はこちら。NTTデータの敷地内にありながらも、9:00〜17:00の間は自由に入ることができます。では、奥に入ってみましょう。
門の奥には階段があり、これでJR線路の高さまで下りて行きます。
階段下には、大森貝塚を発見・発掘したモース博士の像と説明文。さらに線路に近づきます。
ほぼ、線路際。そういえば教科書の「貝塚」の内容、思い出してください。
1877年(明治10年)にモース博士は列車の窓から見える崖に貝殻層を見つけ、発掘のきっかけとなったという逸話。貝塚は電車と同じ高さ・目線にあったのです。さあ、もっと線路に近づいてみましょう。
ふぁっ! 大きい! 階段上の道路沿い、レプリカの2倍、2メートル以上の高さがあります。
この記念碑は、1930年(昭和5年)に建立されたもの。歴史の教科書にあった日本の黎明期を知るための大事な発掘現場「大森貝塚」はここにあったのか……と、悠久の歴史を感じ、落ち着いた気持ちになりますね。
というわけで、モース博士も乗ったであろう京浜東北線と記念碑のツーショットを撮って、満足して帰りました。
ところで、貝塚そのもの、貝殻の地層とか見られたらよかったのにな〜と、妙にデコボコした階段の壁を眺めて家路についたわたくし。
帰宅して、レプリカ以上の罠に自分がハマっていたことを知りました。
二つの貝塚碑(以上大森貝塚 - Wikipediaより引用)
現在、大森貝塚に関する石碑は、品川区側の遺跡一帯に整備された大森貝塚遺跡庭園(品川区大井六丁目21)内と、大田区側の大森駅近くのNTTデータ大森山王ビル横の小道を線路側にはいったところとの2ヵ所にある。
(略)
モースが論文に発掘場所の詳細を書かなかったこと、貝塚発見の報告文書に所在地が大森村と記述されたことから、当初の発掘地点について長い間、品川区説と大田区説の2つが存在した。しかし、その後1984年(昭和59年)までの複数の調査により、東京府が大井村字鹿島谷(現在の品川区大井6丁目)の土地所有者に調査の補償金50円を支払った文書が発見されたこと、貝塚碑周辺の再発掘で貝層が確認された一方、貝墟碑周辺では見つからなかったことから、現在ではモースが調査したのは品川区側であったことがわかっている。
俺が見にいった「貝墟碑」は、モース博士が調査していない、貝殻層が見つからなかった、大森側の記念碑じゃん……!
そりゃ貝殻層が近隣に見当たらないわけだよ……。二重の罠にハマってんじゃん俺……。
明治のこころ-モースが見た庶民のくらし
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