- 2013年06月24日22:00
DVD「カポーティ」レビュー 〜カポーティへの嫌悪感とワイドショーについて〜
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筆者の本業には急にヒマになる期間があり、平日でも数日、完全な休日・連休になることがあります。
そんな時役に立つのが、「旧作100円」のDVDレンタル。
10本借りて、連休中に全部観て、即返す。
時間が充分残っていれば、また10本借り、そんな感じで一日中映画を観て過ごすわけですが……
旧作DVDがゆえに、かなり旬を逸した作品が「最新作!」として紹介されているわけです。
そんな中で気になった作品があり、10本のDVDを返した後、即借りた10本の中にまずチョイスしたもの。それが「カポーティ」。
8年前の映画で、主演のフィリップ・シーモア・ホフマンは今作でアカデミー主演男優賞を受賞。
旬は完全に過ぎていますが、今回は映画「カポーティ」のレビューです。
「カポーティ」とは『ティファニーで朝食を』で知られるアメリカの作家、トルーマン・カポーティのこと。
彼の後年の代表作である『冷血』を書く姿を描いた伝記映画が、「カポーティ」です。
筆者は「ティファニーで朝食を」というタイトルからイメージされるナンパな雰囲気に、本はおろかオードリー・ヘップバーン主演の映画すらも食わず嫌いをしてました。
ですが、DVDに収録されていた映画の予告編を観て、断然興味が湧きました。
1959年、カンザス州の小さな町で、一家4人が惨殺されるという事件が起こった。「ニューヨーク・タイムズ」紙でこの事件を知り興味を持ったカポーティは、幼馴染のハーパー・リーと共に現場に向かう。(Wikipedia)『ティファニーで朝食を』のイメージのせいで完全にその作者・カポーティのことを知ろうともしなかったわたくし。これ、あかんかった。
この事件を取材し、実録小説としてまとめたカポーティは、この作品スタイルを自ら「ノンフィクション・ノベル」と銘打ち、以降、報道の現場において「ニュー・ジャーナリズム」と呼ばれる報道スタイルの源流となった――ものすごくハードボイルドじゃないですか。
しかもそのカポーティを演じるフィリップ・シーモア・ホフマンの、(おそらく)カポーティの言動に似せたはずの、幼児性すらも感じる風貌、声。
実に怪しい。
がぜんカポーティという人物、「カポーティ」という映画への興味が湧きました。
事実、映画はカポーティの天才的な才能は、精神的な幼児性にある、という論拠のもと、
『冷血』を書くために、事件の現場、当事者、周囲の関係者へ直撃取材するカポーティの姿を描いていきます。
それはもう、まさに遊びで蟻の巣に水を注ぐ子どものごとく、事件に傷ついた関係者にずかずかと踏み入り、聞き出し、喜ぶ姿は「怪人」と言っていいでしょう。
子どものような天然の言葉のナイフで、当事者達の心をえぐり、精神の子どもだからこそ許されてしまう、利己主義。
特に事件の犯人であるペリー・スミスに対して「友達」を装って優しく接したり、時にはその場しのぎの嘘をつき、事件の真相を聞き出そうとするその姿は、
まさに今回の事件をテーマに書こうとした『冷血』という作品のタイトルのとおり、冷徹で血も涙もない利己主義の怪人に見えるのです。
(事実、後で知ったことですが、『冷血』というタイトルには、殺人を犯した犯人そのものの意味と、それを取材する自分自身という二重の意味がある、という説があるようです。)
しかし、犯人・ペリーに「(偽りの)友達」として接するがゆえに、だんだん自分の精神の歪みが自らに跳ね返ってくるカポーティ。
「(我々は)同じ家で生まれた。一方(ペリー)は裏口から、もう一方(自分)は表玄関から出た」
ペリーが重大な犯罪に至る経緯である、彼の人生と、自分の人生を重ねるカポーティは、取材対象としてではなく、本当の友人のような感覚に陥り、その怪人性に陰りが見え……
『冷血』という作品を完成させるには、ペリー・スミス(とその共犯であるディック・ヒコック)の死(絞首刑)を見届けなければならない。
この事実が彼を苦悩させます。
この困惑するカポーティ――幼児性の天才――が、だんだん凡人の感覚の持ち主へと下って行く様を描く映画の後半からの不安感。
そして決定的なクライマックス。
もはやそこには、怪人・カポーティはいませんでした。
トルーマン・カポーティが『冷血』で目指した「ノンフィクション・ノベル」とは何だったのか。
そこから生まれた「ニュー・ジャーナリズム」という潮流は何だったのか。
私はこのDVDを見終わって、早速書店で『冷血』を買って来ました。
これも読んだあと、何かしらレビュー出来ればと思います。
それにしても。
「カポーティ」の前半部分から感じる、カポーティの天才性、幼児性、そして犯人をあくまで取材対象として見る残酷さ。
それらに対する嫌悪感は何かに似ています。
いや、ハッキリしています。
テレビを付ければだだ流れ、
またインターネットを見れば飛び込んで来る、ワイドショー的な、アレです。
重大な事件の被害者に、マイクを向けるレポーター。
ただの男女間の問題でしかないのにことさら大ニュースのように拡散される芸能ゴシップ。
「報道の自由」を御旗に、ずかずかと他人のテリトリーへ土足で乗り込んで来る、あの感じ。
彼らにはカポーティほど、最後(最期)まで見届ける矜持はありません。
世間の興味が薄れたら、
視聴率が取れないとわかったら切り、
PVが稼げないとわかったら放置します。
「祭り」と称するネット上での炎上事件にも、同じものを感じます。
(また、炎上することでPVを稼ぎ、認知度を上げようとする「炎上マーケティング」という言葉にも。)
トルーマン・カポーティは、ペリー・スミスの最期を看取り、『冷血』を書き上げた後、完成させた長編作は無いそうです。言ってみれば、作家として終わってしまった。
しかし、ワイドショーやネットの話題は繰り返し繰り返し、事件を、ゴシップを追い続け、
良くて年末に振り返って「ああ、あったねそんなこと」で終わり、また新しい別の事件やゴシップで燃え続けます。
ジャーナリズムとは何か。
そんなことまで考えだしてしまう、「カポーティ」。
派手などんでん返しやアクションは当然ありませんが、じっくりと、目の離せない、ここ最近観た映画の中では特に心に残った映画でした。
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